やっぱりけん玉が好き

惰性とボケ防止でブログを続けています

旅路はるかの検証

高島屋の展示場から金にして500万円相当の

金の茶椀を盗んで、150万円で買い取ってもらった

という事件を見て、

買い取った業者のぼったくり度が凄すぎて

そのニュースの内容が頭に入ってこない今日この頃、

あなたは烏賊がお好きでしょうか。

 

最初はボラれたなと思っていましたが

その後のニースで犯人の子が150万円の借金をしていた

と聞き、最低でもそれだけ欲しかったのかと納得しました。

でも150万円で買い取った業者が、いくらで売ったのかが

次に気になります(笑)。

 

さて鰻街道のお話。

 

鰻街道の話は、地元の安来市でもほぼ知っている人はいません。

ただ地元の門脇等玄さんという方が安来の歴史書から

鰻街道の話を聞き、自ら取材して

"旅路はるか"という本(現在絶版)を世に出し

それを見たMさんが、その情報のみで探索されました。

 

そして道の探索をして、地元の方に聞くと

意外と門脇氏への信ぴょう性を疑う方が多かった

というのがとても気になりました。

 

そしてMさんが当時の網元で現在安来で店屋をされている方に

直接取材してみると、なんと門脇氏は

ここを出禁になっていたことが判明し、

"旅路はるか"の鰻街道はほぼ彼の推定で

かなり信ぴょう性が乏しいことが明らかになりました。

 

そのため門脇氏が鰻を運んだ桶とかを

安来市無形文化財扱いしていますが

それも全部嘘。

網元に取材したら桶の形状が全く違うことが分かりました。

安来市、残念。

ちゃんと網元に聞いてから展示しましょう。

 

 

後は母里から法勝寺に行く道。

門脇氏は隠尾を通った説を書いておられるけど

地元の人も知らない話があるのかと思うし

普通は大名が通っていた整備された道を使うのが

一般的な考えではないかと推定できます。

 

旅路はるか という題名だから

道にはこだわっておられたのでしょうが

隠尾については隠尾の変わった歴史を

取り上げたかっただけなのではと邪推してしまいます。

 

そんなこんなで門脇氏の偽情報で右往左往してしまいましたが

分かっていることは

・中海で獲れた鰻は、今の汐彩公園にあった池で保管

・運ぶときは船を使って、伯太の母里まで運搬

・母里から法勝寺、根雨、新庄、勝山を人力で運んでいた

・勝山から船を使って瀬戸内海に出て、関西まで運搬

 

この史跡を巡るサイクリングコース。

歴史好きには面白いものになりそうです。

 

おはり。