やっぱりけん玉が好き

惰性とボケ防止でブログを続けています

ウナギロード 今のところのまとめ

このブログに何度か書いている鰻ロード。

話をまとめると西暦1760年頃、

中海で鰻が大量発生し、安来港で商売していた

松本佐右衛門は、生きた鰻を大阪まで運べば

高値で売れるのではと考え、川を利用した運搬と

人力で関西まで生きた鰻を運んでいたというお話です。

 

これまた体力勝負の商売と思われるでしょうが

これを実現するためには江戸時代とは言え、

松江藩から他藩にまたいでの商売なので

松江藩の許可がいりますし、

道中は長距離なうえ、山中も歩くので

山賊とかの遭遇の危険性もあるため、

聖護院御用商人として聖護院から許可を得て、

「聖護院御用」と書かれた小旗と提灯を持ち

どこでも最優先で通行でき、危険な目に合わなかった

ようで、ただ運ぶだけでなく、

色々と対策をはかって可能になった商売のようです。

 

さてその鰻ロードを取材して、現在に伝えている

貴重な資料が、門脇等玄さんが取材して書かれた

「旅路はるか」という本(現在 絶版 安来図書館に2冊あります)。

 

これを参考にMさんがあちらこちらの図書館とか

当時の話を知っている人を紹介してもらい

数人に合い、ついにこの商売の本家の松本家まで行き

検証してこられました。

 

それにひきかえ私は漸く、旅路はるかを見つけ、本を読んだり

安来の歴史書を読んだりして、Mさんが言われていたことを

確認していましたが、退院後Mさんと話してみれば

前回の通り、旅路はるか は、本家の松本さんの取材なしで

あまり正確性のない書物だったことが確認できました。

 

“旅路はるか(本)” と“松本証言(松本)”の食い違い

・鰻のストック方法

本  中海で保管

松本 現在、汐さい団地の横にあるため池で保管

 

・安来から母里まで運搬方法

本  記述なし

松本 伯太川土手の両岸から船に紐をつけて引っ張って遡上。終着点は安田川が合流す

   る当たり。木戸川を利用しなかったのは、木戸川は橋があり、伯太川は橋がなか

   ったため。

 

・鰻篭の大きさ

本  一人、1貫匁(3.75kg)の篭を前後3つの計6貫匁(22kg)を担いでいた

松本 大人1人抱え程度の大きい篭に天秤棒を2本差して、前後2人の計4人で担いでい

   た。

 

てな感じで、この時点で結構な相違点があります。

正直、門脇等玄さんが松本さんに取材していない時点で

その本の信憑性は怪しいのですけど、

門脇等玄さんの文章力は、本を出版できるほどですから

読むと大変面白いです。

 

それは鰻ロードの話だけでなく、

中海の鰻の質が良かったとか

道の歴史とか。

 

なかでも面白いのが本にもある松本家の隠密説。

というのも松江藩や聖護院から許可をとること自体

大変な時代なのに、これだけスムーズに事を運ぶのは

かなりのコネクションを松本家がもっていたのでは

という推測です。

 

それが真実ではないのにそんなことを書いたから

松本家から出入り禁止を食らったのかとも推測できるし

なんともいえませんが、

何時の時代でも隠密とか陰謀説って

絶えないものだと、感心してしまうのでした。

 

まだルート解明まだは程遠いものですが

実際に鰻を人力で運んでいたという事実はより鮮明となり

史跡と逸話がウナギロードの信憑性高め、

サイクリングの興味をさらに高めると思います。

 

年に一度くらいでも

安来も泥鰌の街から鰻の街にして

ウナギロードを楽しむのもいいかもしれません。

 

おはり。