やっぱりけん玉が好き

惰性とボケ防止でブログを続けています

無題

 2020/3/7 母が亡くなった。
 医大の病室で息を引き取った。
僕は悲しみなのか何なのか全くわからないが
生まれて初めて放心状態になっていた。
止まった時は30分。
僕の時間を再び動かすため叔父が耳元でつぶやく。
「どうやって家に連れて帰る?」。
全くのノープランだった。
自分の車?いやいや絶対無理だろう。
どうすればいいのか叔父に聞くと普通は葬儀屋に頼むという。
葬儀屋・・・そういえば、母の入院が長引きそうに感じた時、
生命保険の契約内容を調べたことがあった。
そのとき保険証券のあった棚に
葬儀屋の会員の書類があったことを思い出した。
多分介護状態の父の将来のために葬儀屋の会員になったのだろう。
まさか自分のことでこれを使うとは母も想定外だったに違いない。
そんなことを思いながら葬儀屋さんに電話した。
葬儀屋にお願いしてからは僕の止まっていた時を
取り戻すかのように全ての事柄が繋がり、
スムーズに物事が進んだ。
 
看護士さんに葬儀屋が迎えに来る時間は何時がいいか確認し、
それに合わせ、母は綺麗にしてもらい帰り支度が進んだ。
病室から出る前に  
叔母が、母の入れ歯が口に入っていないのに気が付き、
看護士さんに入れ歯を入れてくれるようにお願いする。
看護士さんは最後の介護とばかりにたっぷりと
ポリグリップをつけて入れ歯を装着してくれてお化粧も直してくれた。
暫くして予定通り葬儀屋さんが来て、
無事医大を出て母を自宅に送ってくれた。
 
僕が帰宅したら母は2か月ぶりに家に戻っていた。
悲鳴に近い嗚咽、孫たち6人は母の亡骸の横で号泣していた。
この時が本当に母との別れであった。
私もこのときやっと心が解放され、5分ほど泣き伏せた。
この後することは対外的な儀式でしかない。
みなさんに母が亡くなったことを伝え、
母のため恥ずかしくないシキタリをただ淡々と
時間とお金をかけやるだけ。
早速葬儀屋さんが今後の打ち合わせを要請してきた。
それに応じ、まず通夜・葬式の打ち合わせを行った。
 
葬儀屋の担当者との打合せはなかなか激しいものになった。
慶弔関係に関して何の知識も無い私が
余程不安に感じたのだろうか叔父が一緒に立ち会ったのだ。
叔父は出雲の方で、慶弔関係にはとても詳しい。
担当者が次々と勧めるプランに対し出雲とやり方が違うというし、
担当者は安来ではこれが一般的と安来対出雲のプチ戦争が勃発した。
その中でも一番もめたのが納棺式。
納棺は親族がするものだと主張する叔父に対し
納棺師にお願いするのが今の標準と説明する担当者。
納棺と脳幹の違いも判らぬ僕は
きょとんとして二人の話を聞いていたが、全
く話がまとまらない。
結果として喪主が決めろということに。
二人に納棺式とは何ぞやと教えてもらい、
勝手に作った僕の中のイメージは映画の”送り人”になった。
実際はどんなものだろうかという興味が沸き、
叔父の意見を立てつつ、納棺師による納棺式をお願いした。
こうして約1時間渡る出雲安来紛争が終わり、
葬式費用の見積額はそれでも結構な金額に。
叔父がいなくてハイハイと話を聞いていたら
とんでもない金額になっていただろう。
叔父曰く、出雲の倍だと驚いていた。
安来の相場が高いので出雲より住みにくいということで
これは安来の敗北で良いのだろうか。
そんな感じで母が帰宅して1日目の夜を迎えた。
 
その夜は葬儀屋からもらった宿題をした。
母の遺影、葬式で説明する母のエピソード、
それから親戚達が言い出す見も知らぬ母の親戚への連絡。
一番時間がかかったのは母の遺影。
なんせ写真が多い。
アルバムを並べると2畳くらいのスペースが必要になるほどだ。
母は亡くなる前まではバトミントン、華道教室、七宝焼き教室、
消しゴムハンコ教室には毎週通い、
普段は庭の手入れ。僕らの食事。
父の介護は片手間というほど活動的な人だった。
そして10年前くらいまでは大山登山、水泳、テニス
としていたので交流関係は広い。よって写真も多い。
父は写真が少なくて困るところだろうが、
写真が多すぎるというのも時間がかかるので面倒だ。
深夜までみんなでいい写真を探すが、
母の若いころの写真を見て、
思い出話に脱線して肝心の写真は決められない。
しかし、時間はたっぷりある。
しきたりでは通夜が終わるまでは、
朝まで線香番をしないといけないらしい。
長くなるからこういう過ごし方も有りかと思いつつ、
気長に思っていたら、意外に早くいい写真と巡り合い、
即座に遺影は決定した。
その後一応段取りがついたと判断したのか
出雲叔父夫婦が帰ったのを見て、
ウルサいことを言われる方がいなくなったと姉と
アイコンタクトをし、朝まで消え ない線香を信じて姉も帰り、
うちも即寝た。
 
翌日、通夜の予定日。
この日は午後、自宅に納棺師が来て棺桶に入れてから、
夕方から葬儀屋の式場で通夜が行われる。身内が勢揃いするが今父はショートステイ介護施設に入っているため施設に迎えに行き、
一緒に納棺式を見てそのまま通夜に行く予定。
喪主はウロウロするなと言われるが
父を介護施設から迎えに行かないわけにはならない。
僕が迎えに行き、礼服に着替えさせ、ネクタイを締めてあげた。
僕の専門学校の入学式の際、父からネクタイの締め方を教えてもらい、
その私が父にネクタイを締める時が来きた。
父は初めて僕にしてもらうのが嬉しいのか、
出来ない自分が不甲斐と思うのかよく分らない複雑な顔していた。
 
お昼に納棺師が来た。
本木君を想像していたけどその2倍は体重がありそうな方が来た。
彼は準備をするだけで汗を吹き出す。
正座した膝の横のハンカチが手放せない。
納棺式が始まった。
浴衣姿の母を美しい所作で、肌を見せないように浴衣を脱がせ、
また同じように肌が見えないように死装束を着させる。
正直亡骸となった母をいじくり回さないでくれと思う反面、
納棺師は死体に最大級の敬意を払って作業しているのがわかる。
それでもただの儀式だ。
母の死に直面していないものに
その死を信じたくないものに見せるただのショーだ。
母をそんなことに使うなと思う気持ちがこみ上げる。
ただ納棺師の所作さはその怒りを打ち消すほどに美しい。
死装束に着替えた母は美しい姿だった。
次に口と鼻に綿を詰める。
口にも入れるため、入れ歯を外すようだ。
納棺師は手に持つ半紙で母の入れ歯を外すところを見せないようにする。
これも美しい所作だ。カツン! と入れ歯を掴み損ねたピンセットの
金属音が空間に響く。
納棺師が汗を拭く。
カツン! カツン! カツン!納棺師は汗を拭く。
ピンセットを持つ彼の手は、小刻みに震えている。
この時私は納棺師にあることを告げたかった。
ごめんなさい、母の入れ歯をいれるとき
たっぷりのポリグリップを塗られていますと。
納棺師が作業を始めてから20分経過した。
椅子に座る父親がソワソワしだした。
無理もない介護施設から連れ戻ってから結構な時間が経つ。
その間トイレに連れて行ってない。
口に出せない父の横に立ち、耳打ちで確認してから
直ぐ横のトイレに連れて行った。
戻ってくると納棺師はまだ続けていた。
カツン! カツン! カツン! 吹き出す汗。
そしてついに入れ歯を外すのを諦めた。
そのとき漏らさずに間に合った安堵感か
「はぁ~」と父が発した溜息が
納棺師の作り上げた緊張した空間に割って入った。
  
クックッ
     クスクス
 
堪えた笑いから、誰からも笑いがこぼれだし、
堰を切ったように爆笑の渦に包まれた。
そのとき納棺師により、口が開いてしまった母の顔は
生前に良く見せていた爆笑している顔に見えた。
 
「ほら見てごらん、おばあちゃんも笑ってるよ」
 
そう言いながらモネが母の美しい亡骸を指さした。
そのとき、この瞬間だけ母がこの家に戻ってきた気がした。
我が家ではこれを”ポリグリップの奇跡”と呼んでいる。