やっぱりけん玉が好き

惰性とボケ防止でブログを続けています

帰還と今回の報告(過去ログ デルタ株感染記)

2月2日 午前11時30分 事務所
ある関与先の取締役の方から電話があり。電話の内容は「自分に新型コロナの陽性反応が出た。1/31にだれパンダさんにお会いしたから一応PCRを受けてみて」とのこと。

2月2日 午前11時35分
米子港にて無料PCR検査のネット予約を申し込み、空いていた16時10分に予約完了。昼食はほかの職員から離れ、別室で一人、食事が終わった頃に上司が戻ってきたので、事の成り行きを説明し、PCR検査の結果が出るまで自宅待機する。

2月2日 午後16時10分
米子港に車で到着。それっぽいところに駐車すると、完全防護服の係員が申込書とPCR検査に必要な唾液を入れる容器をもらい、唾液を入れる。絞り出す。それでも少し無足りない。絞り出す。さっき飲んだコーヒーが混ざったのかちょっと茶色い。ないところからさらに無理絞り出す。ようやく規定量に。提出後メール登録して、結果は早くて翌日、遅ければ2日後と説明される。

2月2日 午後17時
パソコン等の暇つぶしに必要なものを現在空いている父の部屋に入れ、家族に事情を話し、家庭内隔離生活を始める。因みに風邪の症状はない。父は現在、介護施設に短期入所中。

2月3日 午前6時40分
目が覚めると同時にPCRの結果がメールに送られる。

 


結果は陽性。




家族、勤務先にネットで結果を伝える。陽性の場合は検査をした会社に伝え、そこから保健所に連絡してくれる手筈。検査先に電話を入れる。早朝過ぎて電話に出ない。保健所に連絡入れる。お待ちくださいから全く繋がらない。勤務先により連絡あり。本日の重要な仕事についてリモートで行う事を決める。家族も全員自宅待機。あとは保健所と検査会社へ連絡すること。最初に繋がったのは安来市新型コロナ相談センター。つながったのは良いけどここは相談センター、陽性者の場合は先に松江の保健所に電話しろとのこと。

2月3日 午前8時20分
保健所の電話受付開始時間10分前に電話する。繋がる。陽性になった経緯を説明して一旦電話を切る。

2月3日 午前9時
検査会社就業開始時間に電話する。繋がる。陽性を伝える。保健所に電話するので自宅に待機して連絡を待てと言われる。
ここで問題。一体自分はどっちの管轄という疑問が生まれる。発症したのは鳥取県で住まいは島根県。最悪自分は米子保健所、家族は松江保健所。まあどのみち保健所の指示に従えばいい。

1月31日 15時10分
関与先から受けていた質問を答えるためある関与先を訪問。この日の朝、15時に本社で会いたいという電話を頂いての来社。会社の玄関にて手消毒と検温を済ませ、応接室に入る。4畳半くらいの広さの部屋に応接用のソファと真ん中にテーブルというごく一般的な応接室。そこで質問の回答をし、さらにその場で新たな質問を答え、その後談笑しながら頂いたお茶を飲む。その後事務所に戻る。この応接室で会話した人が感染者だった。

2月3日 のその後 
松江と米子の保健所からひっきりなしに電話
・松江保健所から陽性の鑑定結果を送れというのでメールで添付。
・検査先からの結果は米子保健所に送られた模様。米子保健所から経緯を伝え、現在平熱、検査結果を受けたせいなのか喉に違和感。因みに僕の新規感染者のカウントは鳥取県になった。鳥取県のみなさん、ごめんなさい。
・松江保健所から電話が来て同じく経緯を伝え、現在の状況、今の自宅の状況、家族の状況等を事細かく伝える。基礎疾患があると伝え終了
・リモートの仕事が始まる。自分がいてもいなくてもいいじゃない?と思える内容だったが陽性者が珍しいのか、結構話題として振られる。噂話だと隔離施設に入るとプライベートのため、氏名を名乗らず、部屋の番号で呼ばれるとのこと。囚人か。
・仕事中にも当然ながらジャンジャン保健所から電話がかかる。薬は何か。どこの病院に通っているか。健康保険証の番号は。
・松江保健所からようやく家族のPCR検査をPM16:00指定で要請。保健所にカミさんの電話番号を伝え、指示してもらう。
 リモートの仕事中に熱が上がりだす。37度前半。喉が痛い。仕事が終わり、休んでも熱が上がりだし、夜には39度へ。保健所の方から電話があった際に頓服を飲んでもいいかと聞くと、医者じゃないから分からないけど必要に応じてどうぞと聞いたので、頓服を飲むとのどの痛み、下半身の節々の痛みが和らぎようやく眠りにつく。

2月4日
高熱のためか深く眠れないまま起床。早朝保健所から電話がかかる。体温は38度。のどに痛みありと伝える。現在自宅待機、隔離施設、病院のいずれかを検討中。希望はといわれ、家族の感染が怖いから自宅以外でと伝える。結果は2日かかるとのこと。

家族のPCR検査の結果、みんな陰性。職場は前日休業。職員は全員PCR検査。結果はみんな陰性。2/1~2/2の私が行った関与先に陽性になったことを伝え、PCR検査などの対処してもらう(その後全員陰性)。

体温が39度になったり、37度台になったりまた39度になったり安定しない。頓服は飲んでいない。食欲はある。通じはない。味覚はまだある。熱が下がると後遺症が出る人もいると保健所の方に教えてもらう。

濃厚接触者であるがPCRで陰性ならば、最低限の買い物を人の少ない時間ならはしてもいいとのと。我が家は同じ町に姉がいるので、いざというときは助けてもらえるようお願いした。保健所によると物資の運搬もしてくれるらしい。うちはいらないとお断りした。
この日から松江保健所からのみの対応となる。

厚生省から自動メッセージが届き、ココアへ陽性者の登録。早速陽性者との接触結果の確認をすると陽性者との接触はなしとのこと。相変わらず使えないソフトと思いきや、私の登録で周辺の人に陽性者の接触が表示されたと確認。私以外はちゃんと機能しているもよう。

夕方、保健所から連絡あり、某病院へ入院することなる。病院から連絡を待てとのこと。

某病院から電話あり、入院する(約2週間予定)にあたって必要なものリストを教えてもらう。
タオル5枚、下着4セット、寝間着2枚、歯ブラシセット、入浴セット、不織布マスク、テッシュ箱ごと、イヤホン、治療中の薬、ハンガー3本(洗濯物を干す用)退院のときに着る服、水筒、3,000円くらいのお金(駐車料金用)、健康保険証、お菓子(嘘 指定されてない)。
指定されてないけど仕事で使うパソコンとスマホは持ち込む。

実際に必要なかったも水筒。薬飲むのに水くださいと伝えるとミネラルウォーターのペットボトルを毎日1本もらえた。逆にあって良かったものは寝間着2枚。熱があるときと平熱のときの寝間着があって助かった。

急に入院することになったのは自分が基礎疾患持ち(糖尿病)で薬治療のためのよう。やはり傾向的に基礎疾患持ちの感染は要注意のよう。

2月5日
寝汗をかく。熱が下がり、37度後半。9時過ぎ、久々に車に乗り、指定された病院に向かう。到着すると完全防疫服装の係の人から駐車場に向かうよう言われ、駐車場にて健康保険証を渡し、入院手続きの書類にサインする。しばらくして、荷物を持って病院に入るようにと言われ、病院へ。

玄関で手の消毒をしたのち完全防御の看護師に外装を白いカバーに覆われた車椅子に乗る。乗るとチャックを絞められ、360度カバーに覆われ、完全隔離で移動。中は白くてSFの世界。しばらくしてCTスキャン。事前に金属のない恰好でと教えてもらっていたので、そのままベッドに横になり、息を吸って止めるなどの指示に従い、終了するとまた白いカバーに包まれた車いすに乗り込み、病室に移動。看護師に病室の説明を聞き、入所手続き完了。その後採血、病状の確認。

しばらくして医者登場。毎日主治医がかわるとのこと。CTスキャンと血液検査の結果、重症化してなくて、安心してくださいとのこと。まあ個人的にもうピーク過ぎているから。

正直今まで怖かったのは39度の時。特効薬がなく肺炎起こしたらと思うと怖かった。そして喉の違和感がひどくなり、入院時では扁桃腺MAX並みの痛さ。ただ今までもあった痛みなので耐えられない痛みではなかった。熱は下がりだしたが、味覚症状あり。

最初の食事。糖尿病患者用の食事のため、物足りないものかと思いきや、おかずは少ないものの、白ご飯がいつもの5倍の量。白ご飯をこんなに食べられるのは幸せ。少し罪悪感をもちつつ、病院が食えっていてるんだからと喜びながら食べる。

食後は検温、血圧測定、パルスオキシメーター。パルスオキシメーターは初で95以上が好ましいようなことを聞く。この時は酸素96、体温37.0度、血圧125/68。食事後測定を毎回し、インターフォンで結果を報告。

パルスオキシメーターの面白いところは指によって数値が変わる事。指先が冷たいと低い数値が出るという。

厚生省から再びメッセージ。今度は日々の状況を報告するHER-SYSの登録をするように指示有り。サクッと入力して登録終了。その後毎朝、病状を入力することに。

持ち込んだパソコンで月曜日の仕事に必要な資料を作成し、メールで送信。リモートでもある程度仕事が出来るけど、基本ほとんどの仕事を先延ばし。まあ心配は退院後に。因みに院内WIFIなし。

2月6日
寝汗をかく。のどの痛みは相変わらずの痛さ。熱は37度台。味覚あり、後遺症なし。朝ヨーグルトと牛乳のどちらが良いか聞かれ、ヨーグルトを選択したのに牛乳が来て、残念。
風呂は3日おき。明日の予定。寝汗をかいたので、温かい体拭き(おしぼりタイプ)をもらい、体中を拭く。ついでに下着を着替える。洗濯機なし。部屋から一切出られないので、洗濯物は洗面所で洗う。ハンガーは洗濯物を干すために使用。部屋は強力な空気清浄機稼働のため、超乾燥状態。洗濯物が意外に早く乾く。

2月7日
寝汗なし。この日は朝のみ37.1度。昼からは平熱に戻る。のどの痛みは継続。後遺症なし。入院して初めて入浴。シャワーのみ。平熱になってから寝巻を着替える。気持ちよき。

2月8日
1日中平熱。のどの痛み緩和。久しぶりに寝起きに勃起。後遺症で気になっていた味覚症状問題なし。インポなし。陰茎の縮小なし。脱毛なし。

2月9日
この日も平熱。のどの痛みなし。後遺症なし。
保健所から電話あり。10日にも退院できるとのこと。退院後は自宅待機。家族はまた帰宅時から濃厚接触者になると説明を受ける。ほかの選択肢を聞くとそのまま入院か自宅待機の2択とのこと。任意でPCRを受けて陰性だったときの自宅待機は?と聞くとそれでも家族は濃厚接触者とのこと。そのことについて文句言いたいこと山の様にあるけど、それでなくても忙しい保健所の方の手を煩わせるのもいけないと即判断し、入院の継続意向を伝え、電話を切る。正直隔離施設に移って、本当に入院が必要な人のために部屋を開けたかったし、隔離施設でWIFI生活したかった(苦笑)。
その後連絡があり、入院の継続が決定。退院は14日。

2月10日
平熱、のど完治、後遺症なしの健康体。多少会社から連絡あるも暇で死にそう。ただ冬季オリンピックで時間つぶしが出来、救われる。薬を飲む量を間違え、監視強化される。

2月11日
平熱および健康体。関与先にかける電話、かかる電話に陽性になったことと、入院を伝える

2月12日
平熱および健康体。関与先に陽性と入院を伝えたが、退院後は感染者扱いされないか不安になる。どうも退院時にPCR検査しないし、完治した証明がない。あるとしたら国の基準を満たしているだけ。まあPCRを受けてこれ以上保健所や病院を忙しくしてもいけないから、とにかく迷惑かけないよう大人しくしておこう。退院したらカップヌードルハーゲンダッツ

退院は13日と病院側から報告あり。14日と思っていたけど、PCRが2/2に陽性だからここ0日として10日経過までなので2/12まで。そして発症者は症状軽快後3日間必要。自分は2/8に平熱に戻ったので5日経過しているため2つの条件がクリアし、2/13に退院ということ。想定より1日早い。しかも鬼滅の刃の最終話(2/13放送予定)が自宅で見られる(笑)。

2月13日
平熱および健康体。朝食後、寝間着から普段着に着替える。帰り支度し、看護師が来て忘れ物がないかチェック。そしてまた一人来てチェック。違う人でチェックするシステムのよう。いよいよ退院。荷物を台車に乗せてもらい、完全防護服の看護師さんが運び、その後ろについていく。透明なカーテンをくぐると別の看護婦さん。服装は普通。マスクとフェイスガード装着されている。その方に担当が代わり、今度は玄関まで。荷物は玄関に置かせてもらい、自分は駐車料金800円支払って、玄関に車を横付け。お世話になった挨拶を済ませ、荷物を車に運び、病院をあとにした。

帰宅後、保健所から電話があり。帰宅を報告。保健所からは隔離期間終了なので、行動制限は解除。どこに行っても自由と教えてもらう。そしていつものように帰宅と同時に娘にスマホを取り上げられ、いつもの日常に戻る。取り合えずすべきは競馬予想かな(笑)。

最後に今回のCOVID-19の感染についてまとめ

・感染理由・・・狭い部屋での会話。お茶を飲む際マスクを外した。
・感染させない(職場)・・・とにかくマスクをする。狭い部屋で話さない(職場での感染者なし)。
・感染させない(自宅)・・・感染したかもと思ったら即隔離。共有施設(トイレ等)は除菌と換気(家族の感染者は自分だけで済んだ)
・保健所の対応・・・ありがたいことに都会と違い、時間内であれば連絡が取れた。
・病院の対応・・・想像以上に厳重。
・症状・・・接触から発症までが早い(僕の場合)1/31接触、2/2発症。翌日2/3に夜に39度以上の発熱、扁桃腺が腫れた並みの痛み。症状は個人差ありと聞く。
・不安・・・保健所の対応は早かった。でもオミクロン株の方の進行が早い。入院したときすでにピークアウト。39度のとき、このまま悪化が続けばと不安に襲われる。ワクチン2回打ったから大丈夫と言い聞かせていた。



おはり