やっぱりけん玉が好き

惰性とボケ防止でブログを続けています

掛合とその思い出

辛い物を食べてサイクリングしたら

食後に坂で踏ん張って、ゲップが出ると

食道が妙に熱くなるし、次の日にいたっては

口では言えない痛みをトイレで襲われた今日この頃、

あなたは烏賊がお好きでしょうか。

 

さて最近急にサイクリングで掛合に行きたくなりました。

前回三刀屋に行ったのも道路状態の確認です。

その掛合は雲南市の南にある町で

竹下登元総理大臣の生誕地として知られています。

 

そんな掛合にいきたい理由は

自分が幼い頃2~3年ほど掛合町に住んでいたことがあり、

還暦前になって住んでいた当時の家はどうなっているんだろう

と思い、調べたくなったためです。

 

私の父の勤め先は、NTTの前身の電電公社

父の転勤で掛合に来ました。

私が小学校に入学したのは掛合小学校で

クラスは一クラスしかなく1年イ組でした。

私が生まれた丙午(ひのえうま)は凶年で縁起が悪いといわれ

出生数が減少したため当時は他の学年と比較して

1クラス少ない事が多かったです。

因みに2つ上の姉は2クラスあり

3年ロ組だった記憶があります。

 

なのでクラス分けは、1組2組やA組B組ではなく

イロハニホヘトで分けていた模様です。

当時はもう昭和40年代後半だったのに(笑)。

 

掛合の思い出は鮮明とはいきませんが

泳げるようになったのも、

自転車がこげるようになったのも

掛合に住んでいるときでした。

 

そのときの自転車は人の借り物

確かK君という散髪屋の息子のもので

あまりに僕が練習中にコケるので

「もう貸したくない」と言われたのですが

彼のお兄さんからそんな事をいうなと言われ

貸して貰えて、乗れるようになったのを

今でもよく覚えています。

 

水泳は近くの三刀屋川の一角に網があり

当時5円くらいでそこで遊べたように覚えています。

 

私が幼稚園の年少のとき、世間はオイルショック

トイレットペーパーが無くなった時代ですが

掛合ではそんなことがありませんでした。

だって便所で使う紙は新聞紙でしたから(笑)。

 

掛合では“しょうから”だったようで

早朝から山に入ってカブトムシやクワガタをとり

ヘビを見つけると尻尾を持ちグルグル振り回して

叩きつけるようなことをしていたようです。

あまり覚えてはいませんが(笑)。

 

掛合を出てもう50年。

街並みの記憶もありませんが

掛合をストリートビューで探索してK君の理容室を見つけ

俄然思い出がよみがえってきました。

 

彼の家を拠点にすれば、

掛合のうちを思い出すかもしれません。

三刀屋までのルートは確認できたから

次はいよいよ掛合に乗り込むとします。

 

おはり。